小学校入学の際に、親戚のおじ様がグリム童話シリーズの本数冊セットをお祝いにくださって、この読書をしないわたしでも良く楽しんで読んだものです。その中の一つの物語がなぜか妙にわたしのこころを突き、何度も何度も読みました。大人になってからもなぜかその物語が頭に残っていて、時々思い出すことがあります。
「木のお皿」という物語。4人家族のお話です。若夫婦と小さな男の子一人、そしておじいちゃんが一つ屋根の下で暮らしています。おじいちゃんは年齢には勝てなくて、どんどん「老い」を見せ始め、食事中にあやまってお皿を割ってしまうことが多くなりました。その度にテーブル、床は汚れ、夫婦はその後始末に嫌気がさしています。こうなったら、おじいさんには木のお皿を使わせてしまえ!そして部屋の隅でひっそり食べてもらおう!と邪険に扱うのでした。ある日、そこの小さなぼくちゃんが何か一生懸命こしらえているのをその夫婦が見つけました。「何を一生懸命作ってるの?」「これは餌やり場だよ。お父さんとお母さんがおじいちゃんみたいに年をとった時に使ってもらうように作ってるの」と。それを聞いた夫婦は自分達がしていたことを罰せられたかの気持ちになり、おじいさんにあやまるのでした。
...というお話です。
もう数えられないくらい見てきましたが、昨日トレーニングのクラスの前にテストしたわんちゃんが14歳のマルチーズとプードルのミックスで、目は緑内障にかかっていて、曇ってるからあんまり見えてないよう。歯垢がたまりまくりの真っ黒でぼろぼろの歯。胸と頭のてっぺんに大きなシコリがあって、明日にでもシェルターの獣医さんに検査してもらうと思うのですが、結構深刻かも...。検査の前に簡単に性格・行動テストをしておいてということで、やってみました。
ビッキーという名前のおばあちゃんで、飼い主に捨てられました。レポートを読むと、パピーの頃から14年間飼っていて、捨てる理由のところには「時間がなくなった」と。え?14年経った今になって「時間がなくなった~~~?????」それが本当の理由じゃないですね。そう書いただけっていうのか。そんな「ぼろぼろになった」わんとは一緒に住みたくない...。治療してあげるお金も時間も気持ちもなくなった...というのが本当のところじゃないでしょうか。
ビッキーをテストしてる時に、久しぶりに「木のお皿」の話を思い出したのです。ビッキーを捨てた人たちに子供がいたかは定かではありませんが、もし居たとしたら、その子供たちは親達がしたことをしっかり見ていると思います。悪い見本を学ぶか、その悲しい出来事から大事なレッスンを学ぶかは子供次第なのかもですが、捨てた親達が、いつか何かの形で必ず犯した罪をつぐなえるような大きな勉強をする機会があって欲しいものだと強く強く思います。
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