新しい年が始まりました。シェルターに「初出勤」してきました。ホリデーシーズンでちょっとご無沙汰していた間に、相変わらず新しい顔ぶれが一杯。これは本当変わりませんね。2-3週間ご無沙汰して戻った時に知らない犬が一匹も居ない、すでに居た犬のほとんどが居なくなっている...なんて日がいつ来るのか...。
いや!新年です!そんな日がいつか来ることをひたすら祈って頑張るのみ!
さてさて、新しい顔ぶれの大半はやっぱりピットかピットミックス。これも変わらず。う~~~~。しかし、昨日の「新入り」の中で新年早々ぐさ~~~~~~とこころを突いたのは、12歳になるイングリッシュ・セッターのサンディーでした。新入り牢を歩いて回り、インベントリーがてらみんなに挨拶。ベッドで静かに寝ていた彼女、わたしがドアの前に立ったら喜んで飛び起きて挨拶に来てくれました。ドアを開けてよしよし撫でてあげるとすんごく喜んでいた彼女。かわいいな~と思って、引渡しの書類を読んでみました。
う~~~~~~。「12歳になって年老いて行く彼女の老後を見ていく勇気がない」と。
な、な、な、なんということ...。
その飼い主達は、もう一匹犬を飼っていて、「その犬も老いてきたら捨てに来るので宜しくお願いします」と言い残して言ったとスタッフの談。彼らはその犬たちをパピーの時から飼い、10年以上も一緒に暮らしてきているのですよ。
もちろんその場で教育(説教)はするものの、捨てるという飼い主に「駄目だ!連れて帰れ!」とは言えない辛い立場でもあるのがシェルター。そういう風に話しを持っていくと往々にして近くの道か公園に捨てられてるのが関の山。それは何度も何度も見てきましたよ。たったの15分が待てずに捨てに来たペットのブタが近所の公園にくくりつけられていたり、今日はもう閉まったので明日の朝まで待ってくれと説得したら、数時間後にその犬が高速道路をうろうろしていたところを保護されたり...。
捨てると決めてシェルターまで来た飼い主は捨てます。どう教育・説得しても気持ちは変わらないですね。99.9999999%
同じ老犬の飼い主として、苦労やこころの痛みは分からないわけではない。辛いですよ、あんな元気だった愛犬がどんどん老いていく姿を見るのは。でも、それが人生。誰もが老いる。生き物(人間も含む)と生きていく!と決めた限りはそれは必ず通らなくてはいけない道ではないでしょうかね。親でも伴侶でも子供でもペットでも。自分も老いる。その時は必ず誰かの助けがいる。支えあいじゃないでしょうかね。
またイソップ童話の「木のお皿」を思い出しました。
この飼い主たちに子供さんがいるかどうかは分かりません。居たとしたら親のその姿を見ています。親の老いを見てられないとギブアップされても仕方ない...かもですね。
ペットの飼い主で多いのが、嫌なことは人に任せて逃げるということ。やんちゃで手に追えないからギブアップして人になんとかしてもらえると信じこみ手放す、病気でもうだめ...でも安楽死を見てられないからシェルターに捨てて他人にやってもらう、老いを見ていられないから捨てる...。人生って全てがRosyで、華やかで楽しいことだけじゃないじゃないですかね。苦楽あってこそが人生。それ全てを受け入れられないとだめなんじゃないでしょうかね。
新年早々かなり胸に突き刺さりました。
サンディーはとってもとってもスイートで可愛いわんこです。それにシリアスな病気とかの兆候は今の所全くなし。すぐにとってもいい引き取り手が見つかることでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿