ここニューヨークでは、毎年11月の第一日曜に「ニューヨークシティー・マラソン」が行われます。ニューヨークの一大お祭りイベントです。ランナーが、ニューヨーク市と呼ばれるファイブ・ボロ(スタテンアイランド・ブルックリン・クイーンズ・ブロンクス・マンハッタン)を全部通り、セントラルパークのゴールまで駆け抜ける。スタートはスタテンアイランド。そこからブルックリンを駆け抜けて、わが町クイーンズにやってきて、橋を越えて一度マンハッタンのイーストサイドに入り、ブロンクスに抜けて、またマンハッタンに戻って、そこからはセントラルパークを北から南に縦断。最後はコロンバス・サークルのちょっと上(ストロベリーフィールドの辺りかな?)でゴールイン!となります。
今年はニューヨーク市の住人になったことでもあるし、「大声張り上げて応援だ~!」と張り切って自転車こいでクイーンズのハーフポイントちょっと過ぎたとこらに行ってきました。14マイル半の辺りに、スタートから一時間半弱経った頃に行きましたが、男も女もトップの人たちはすでに通り過ぎた後。そりゃそうですよね。彼らは2時間ちょっとでゴールするわけですから。でも、到着した時くらいにプロのトップグループたちがどんどん走ってきて、「うわ、むちゃ速い~~~~!!!」って感じ。フォームとかも超颯爽としていてかっこいい。そういう小さい「群れ」がとんとんとんと続いたかと思ったら、そこからは一般ランナーの波が押し寄せます。何度か「大波」が来るときがあって、その時はあんなに広い道も一杯一杯になります。見てる方は目が回りそうになる…。
私たちがいた地点にはバンドの演奏もあって、沿道の応援も結構一杯。さすがニューヨークなのでそれぞれの出身国の旗持参で、同志が走ってくるとぶんぶん旗振って、母国語でやんやと応援する。するとランナーも旗と言葉に気がついて言葉をかけたり、挨拶してくれます。うちの横にものすごい「フランス後援会」がいたので、フランス人たちは前にくると手をふって、スマイルで「メルシー」。昨日はフランス人ランナーがすんごく多かったように思いました。というより彼らの一致団結ぶりかな。みんな「FRANCE」と書いたユニフォームを着ていたので目立つし、わかるし。あれは応援しやすい。
日本人ってすぐわかる人たちを見つけては「頑張れ!頑張れ!頑張れニッポン!」「ファイト~~~!」とか言って日の丸とJapan Ganbare旗を振り回すと皆さんとっても喜んでくださったのでよかった。でも、日本のランナーさん、今度はもっと日本を、ご自身の名前をアピールするユニフォーム着てきてください。そしたらもっと声援送りやすいです!
応援する人もランナーと同じくらいに盛り上がっていて、一心同体化します。隣で応援する人たちと仲良くなったりして、わたしの場合は得意なラテン系の兄ちゃんたちだったので、一緒に、スペイン語系の全部のランナーたちと日本人をやんやと応援してました。でも、おにいちゃんも「ラテン系だけじゃないんだよね。全員を応援にきたんだよ!」って。まさにその通り。いろんな気持ちをこめて走っている彼らを見て、本当に感動でこころが揺さぶられまくりました。ものすごいインスパイアーされました。
実は、昨日早朝にとってもとっても悲しい知らせが飛び込んできました。大叔母が天国に行ったという姉からの知らせでした。母方の実の祖母を知らないわたしたちには、物心ついた時から本当に祖母の代わりになってくれていた大叔母。アメリカにいるわたしに電話をするのが楽しみだったようで、時間を見計らってよく電話をくれました。しばらく里帰りをしていなかったわたしに「はよ帰ってこなしらんで」と良く言っていた大叔母。今年里帰りできて、大叔母の顔を見にいけて本当によかったなと…。数週間前に遊びに行った際には、みんなでわいわい食卓囲んで、大叔母も私と母が持って行った大叔母の大好物をばくばく美味しそうに食べていたのに…。91歳になっても自分のことは自分ですると、お手伝いの方も入ってもらわずちゃんとこなしていました。「来年も帰ってくるからね」と言ったばかりなのに…。「アメリカ遊びにおいでよ~ってずっと言われてたのに結局実現しなかった…。」と言ってた大叔母の言葉が胸に響きます。
今年は大泣きの年。悲しい。
でも、家にいるとしくしくばっかりだろうとランナーたちの応援に出て本当に正解でした。大声あげて応援して、そしたらランナーのみんなとっても喜んでくれて、ハイ・ファイブしてくれたり、にこって微笑んでくれたり、たまに日本贔屓のランナーさんが日本語で話しかけてきてくれたりで大笑い。とっても元気付けられた一日となりました。
さっ!来年は走るか!(まじで????)
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