人は様々なIdentityを持って生きていますよね。男とか女とか、日本人、東洋人、白人とか、会社の社長とかウエートレスとか、父親とか…。自分を表現する際のタイトル、説明的なもの。
今年の夏、わたしは自分の中の一つのIdentityを失くしてしまいました。「犬の親」というやつです。もう一ついうなら「ピットブルの親」というIdentityも失くしてしまいました。この二つのIdentityはわたしの中でとても大きく、また誇りでもありました。
このIdentityに関しては、ジュリエットを送った際にいただいた「ペットロスを乗り越える手引き」なにも書いてありましたが、そのIdentityを失くしたことに実に悲しさや虚しさを覚えると…。
本当にそうです。
11年半「犬の親」「ピットブルの親」であったわたしが、突然ある日にそうでなくなってしまった。それが?ってことのようですが、そのIdentityの喪失はわたしの中ではかなりの打撃になっています。
実家で久しぶりに犬との生活を2週間ほど経験できて、「やっぱりこれ」と思いました。自分の生活に犬が居ないのは、「麩」のようです。
だからまたあのIdentityを取り戻したいなと思う今日この頃です。「犬の親」「ピットブルの親」であるわたし。
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